名づけられないもの
それは、わたしが名づけることができないだけで
誰かは名づけることができる。
と、いうものではなく
誰も名づけることができないものです。
そこに、言葉はないのです。
作品を作りながらわたしは、
題名を見つけることができずにいつも悩んでいました。
どうしてか、よい言葉が思いつかないのです。
いつも苦しんで、ようやく題名のようなものがついて一度は納得します。
けれどもしばらくすると、なにか違和感のようなものが残ります。
その題名と、わたしの作ったものは、どこでどうつながっているのか、
だんだんとわからなくなってくるのです。
一度選んだ言葉には、きっとなにかのつながりがあるはずなのですが
その言葉が、どこかで行き詰まります。
なぜなのでしょうか?
わたしは考えました。
わたしは、抽象的ななにかの作り方を3通りくらい見つけました。
ひとつ目は、なにか具体的なものをデフォルメして抽象的なものを作る方法。
ふたつ目は、言葉や考えから導かれるものを抽象的に表現する方法。
そしてみっつ目は、既存の言葉や考え、具体的なものとは、関係のないところから、なにかを作りだそうともがく方法です。
ひとつ目とふたつ目の作り方には、言葉とのつながりがあります。
ですから、 題名というものとの関係を持ちやすいでしょう。
けれどもみっつ目は、言葉と関わりを持たないものです。
わたしが、みっつ目の作り方を実践しようとしているのならば、
題名がつかないことは、至極当たり前のことかもしれません。
けれどもここで、気をつけなくてはいけないことがあります。
それは、言葉と関わりを持たないものを作ろうとすることは、なにも考えずに漫然となにかを作ろうとしている訳ではないということです。
わたしが作りたいもの、それはなになのでしょうか?
わたしはなにを作っているのでしょうか?
そこには、言葉がないのです。言葉では表現できないのです。
わたしが作りたいそれを知るためには、それを見るしかないのです。
いぐち なほ