「創作というものは、とらわれることから始まる。
とらわれないようにもがきながらも、とらわれてしまうのが創作活動なんだよ。」
上村忠男先生は、ワイングラスを片手に、ふふふと笑いながら言いました。
どんな作品を作ろうかと、スケッチブックを開き、思いついた形を描き連ねてみます。
少し経って、ふとパラパラとスケッチブックの前のページに戻ってみると、そこには、似たような色や形が並んでいます。
それを見たときの、がっかりするような気持ち。
なんで同じようなものしか描けないのだろう?
自分はなにかにとらわれてるんだろうか?
ちょっとちがうものを描いてみようかと意識しながら描きだすと、今度はそれが、なんだか嫌なものに見えてきました。
描こうとするとき、わたしはどうやら、勝手にルールのようなものを作って、それに勝手にとらわれているようなのです。
そこから自由になってやろうと、もがいてみるのですが、どうもうまくいきません。
同じような色や形に疑問を感じながらも、まったく違うものには魅力を感じないようなのです。
上村先生に質問をしたのは、そんな時でした。
そういえば、鉛筆をつかってスケッチブックを使い続けていることも、ひとつのとらわれの形です。
ルールを作ることだけでなく、作ったルールを守らないようにすることも、結局はとらわれているということです。
自由でありたいと思うことさえ、自由というものにとらわれているということになります。
そうすると、なにかにとらわれないことには、本当になにもできません。
でも、とらわれたくないのです。
とらわれない方法を見つけたいのです。
とらわれないと作れないのに、とわれない方法を探す。
それはまるで、目に見えない橋をかけ、渡ろうとしては落ち、それでもまだ渡れることを信じて、その目に見えない橋をかけつづけるようなものなのかもしれません。